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写生やスケッチはなぜ大事なの?大切にされる理由はこれ!【日本画】

スケッチや写生、デッサンは「絶対必要!」
とばかりに、美大受験には欠かせない物ですよね。



確かに、作品を作るうえで、
モチーフの形態を知り、
完成に向けて画面の構図を決める為には

絶対必要な基礎的な行程です。


「でもそこまで必要なの?」

「デッサン不要って言うプロもいるよ!」




そして、もしかしたら

「油画科の試験は自由に描いていいのに
 日本画は素描なのは不公平!」



という方もいるかもしれません。


この記事をご覧の皆さんの中にも、
写生やデッサンの必要性について、
疑問に持っている方もいるかもしれませんね。




逆に長くデッサンをしてきた方や、
日本画を描いている方は、
デッサンやスケッチの必要性については
身を以て感じているかもしれません。




ですが、

「写真の通りに描けばいいじゃん」
「写真みたいな絵の方が凄くない?」

と心のどこかが囁いてはいないでしょうか?



ここでもう一度、写生について分野を越えて
客観的な考え方を知り、理解を深めてみませんか?





写生とスケッチに関する筆者の体験

日本画で、写真を見て描くのは悪い事?

日本画では写生が特に重視されており、
筆者がいた教室では先輩に


「デッサン(写生)が一番必要なのは日本画だ」


と言われたこともありました。


また、「写真は極力使わず写生を元に描け!」
という話を度々教室内で耳にし、

あたかも写真を制作に使い、
写真のような絵になることが

日本画において悪いことのように
感じられた事がありました。

写生やスケッチ、デッサンってそんなに大切なの?

でも油絵を描く友達(べらぼうに絵が上手い)
と動物園に取材に行った時、
筆者がせっせと動物のスケッチをする間に
その人は写真を撮るだけ。

そして

「今までスケッチしたこと無かったから、
そういうのもやってみたいなって思った!」

と言ったのです。



写真だけでも、充分に上手な絵を描く事は出来る事を
その友達は体現していた訳です。




また、日本画を描く方の中には油絵のように
写実的な絵を描く方もいらっしゃいました。




他にも、日本画制作での写真を用い方
研究した知人もいた事から、


写生がそこまで重視される事に、
微かな不信感を持つようになりました。




そして筆者は下田義寛のファンです。

(シルクスクリーンを活用して美しい
日本画を描かれている院展の先生です)



そのような経験を経て、

今回改めてスケッチや写生について調べ

 言葉の意味、歴史、教育、作家の写生観 

の4つに分類してまとめることにしました!

スケッチ・写生の意味とは?



まずは「写生」という言葉の意味から
見ていきましょう。

写生という言葉は江戸時代には、

・生気を把握し描写する事

・客観的正確さを主眼として描く事

・精巧・緻密な描写を行うこと

・対象の観察と同時に描いていく事

の 4 つの意味を持っていました。





このような複合的な意味を持っていた「写生」は、
明治時代になって「スケッチ」や「デッサン」
という西洋絵画の訳語に当てられ


「対象を観察しつつ描く」意味にのみ
用いられるようになりました。



ちなみにスケッチとデッサンの
辞書的な意味は以下の通りです。


スケッチ

絵画技法の一種 (→エスキス ) 。クロッキーやポシャド pochadeがある。短時間で描く素描で,鉛筆木炭コンテなどを用いて対象を連写的にとらえる。多くは線描であるが,陰影を加えたものもある。

引用:コトバンク

 
 
デッサン
 
〘名〙 (dessin)
① 黒あるいはセピアなどの単色の線によって対象を簡潔に描くこと。また、その画。主に油彩画などの下絵として描かれる。素描。〔舶来語便覧(1912)〕
※春景色(1930)〈川端康成〉一「竹林が風に揺すぶられて、彼がデッサンしようとする風景を乱した」
② ある物事について、文章で簡潔に描くこと。また、その文章。素描。
③ 転じて、物事の構造、また、基礎。
 
 



とにかく西洋から入って来た
新しい言葉の日本語訳として



デッサン・スケッチ
=「対象を観察しつつ描く」
=写生

とされました。


しかし同時に東洋絵画の「写意」という言葉とも
関わりがあります。


「写意」とは単に物の姿、形を写すだけではなく、

 その精神性を表現すること を言います。


日本画における写生ではそうした意味をふまえて
 対象をよく観察し、その本質を掴む ことが
大切だとされています。

また絵の具の扱い方の違いからも
東西の違いが見えてきます。




日本画の絵の具は本来写真のような模倣を
するには難しい絵の具であり、


常に変動する光源などを頼りにせず、
その物の存在を描くものなのです。


一方西洋画での写生は光と陰を利用して
立体的に描きます。

(この写実の捉え方の違いは眼の色、
文化等とも関わりがあるとされています)



写生という言葉は、西洋の言葉と東洋の言葉の
二つの意味を内包するとともに

絵の具の違いによって東西で考え方が
異なっています。

西洋画と日本画それぞれにおいて
共通する点を持ちながらも異なる言葉といえるのです

まとめ
・「写生」は「デッサン・スケッチ」の訳語

・日本画の写生・スケッチでは「写意(対象をよく観察し、その本質を掴む事)」が大切

・日本の写生は「その物の存在」を描き、西洋のスケッチは「見た目の精確性」を描く

日本画におけるスケッチ・写生の歴史とは?

次に日本においての「写生」の歴史についてです。

日本の写生の歴史について調べる際に
必ず触れられていたのが円山応挙です。




脚のない幽霊の絵を描き始めた画家として
有名ですね。

引用:江戸ガイド




応挙は江戸中期の画家で、写生を重んじる姿勢から
「写生派」と呼ばれ写生画の基礎を作った人物です。



西洋の透視図法に習った、清新な現実感を
装飾性に融和させた作風が特徴と評されています。






『日本美術史』では応挙の絵は

「単に事物を写実的に描くというのではなく、
いったんそれを我身に引き入れて、
堅固な構図のなかに構成し直すのである。」

と記述され、

日本画家の竹内浩一からは
「とくに写生を重んじ、
平易な形のみを写すのではなく、自然に溶け込み、
分別以前の心に立ち戻るように促している。」

と語られています。




これは前述した写意の表現にあたる考え方で、
後述する現代の日本画における写生の考え方とも
共通しています。




ところで応挙以前の日本の美術は
どんな写生をしていたのでしょうか?


実はこれ以前は写生というものは無く
狩野派の粉本=先生のお手本が主流でした。



写生でその物を観察して描くのではなく
先生のお手本を模写して、全く同じものが
綺麗に描けて、それを上手にアレンジするのが
出来る画家」だったのです。




今で言う、フォトバッシュやコラージュ

職業で言うとデザイナーに近かったんですね。




粉本とはもともと絵の下書きという意味で、
胡粉(日本画で使う白い絵具)を用いて
描いたことからこの名が出ています。

また「制作の参考とするために模写されたもの」

を言い、そこから粉本=お手本を指すことになりました。

先人のお手本の模写が、絵の上達のために
絶対必要だと考えられていた時代。



書と絵の間にはっきりした区別を
立てなかった時代には、粉本を、
書道のお手本のようにあてがうのが
通常だったのです。




こうして代々お手本である粉本を受け継いでいき
狩野派は発展していきました。





しかし画才のある者以外は、
粉本を忠実に写せるようになるだけで
それ以上の発展があるとは言い難かったのです。




粉本は、それを用いることで本来学ぶべきであった
形の裏にある心持を伝承させることが出来ず、
形のみを伝えるものとなってしまいました。




この弊害により江戸時代後期には
狩野派の画技は墜落し、
衰退していくことになります。



狩野派の衰退、そして応挙の写生が
現在まで続いていることから、

日本画において写生で「写意」を表現することが
必須だと言われる所以が見えてきました。



日本画が写生を重視することと日本美術の歴史は
思ったより密接に繋がっていて

奥が深いものなのかもしれませんね。


まとめ
・日本で写生を始めたのは円山応挙

・それまでは粉本主義(先生のお手本が絶対)だった

・粉本主義により中身ではなく形式だけが伝承され、狩野派は衰退した

スケッチ大会、写生大会をやる意味は何?

学校で習う美術や図工でも
写生は教育題材として取り上げられています。

皆さんの中にもスケッチ大会をさせられた方も
多い事と思います笑

このスケッチ大会の始まりも、実は
狩野派の衰退と応挙の関係に近いものがありました。

写生が教育で扱われるようになるのは
大正時代の山本鼎という版画家・教育者に
端を発します。



山本が提唱した学童を手本の模写から解放し
直接自然に親しませるための自由画教育が普及したことで、

戸外に出て風景を写し取る写生が
図画教育に盛んに取り入れられるようになったのです。





お手本と同じように描きましょう!という授業が
昔は多かったのです。

狩野派と同じですね。



こうして学校で写生が行われるようになりました。


しかし現代では写生を授業で取り挙げるにあたり、
授業中に校外に連れていけない、
時間の確保が困難という問題もでてきています。


確かに筆者の学生時代の校外スケッチ大会なんて、
3年間で1回とか遠足のついでに……という具合でした。



そこで実際の自然や風景の代わりに
使われるようになったのが写真です!




写真を補助的に使うことで
描き方の手立てとすることが出来、

写真を模写することで写生よりも簡単に
自然を描き写すことが可能になったのです。




こうすることで、実際の風景を描く時には
三次元(立体)→二次元(平面)

だったのが

二次元(平面)→二次元(平面)

になって、一々遠近感等を考える必要が
無くなりました。





これで、写すだけで簡単に上手に描けます。

これは三次元(立体)→二次元(平面)

が苦手な人にはありがたいですよね。




上手に描けるので、誰にとっても
自信や達成感になりやすいと筆者は考えていました。





しかし自然の模写ではなく、

写真の模写

になってしまうことがある事。



またそれは教育実践としてふさわしいのか、
写真の模写に表現する喜びはあるのか、
といった意見が美術教育の学会でも出ており、


「写生に写真を使っていいのか問題」は
絵画制作だけでなく、学校教育の場面でも
難しい話のようです。


まとめ
・スケッチ大会の始まりは、子供をお手本の模写から解放する為だった

・写真を使えば簡単に風景を描けるが、写真の模写に表現する喜びはあるのだろうか?

スケッチや写生をする意味をプロが語っていた

これまで「写生」 言葉の意味、歴史、教育 

三つの観点から著しました。

最後にプロ作家から見て写生とはどのような物なのかが
書かれている記述をまとめます。





アニメの背景画家である増山修
風景スケッチ(写生)について自書した本で、


「実際の風景を見ながらスケッチをすることは、
楽しいだけでなく、いつもは見過ごしてしまっている
さまざまなことに気づける貴重な機会」




「スケッチのために何かをしっかりと見る
という行為は、とても意味のある時間では
ないでしょうか。

~いつもは無意識に感じていることにも
改めて気付くことが出来ます。」




「モチーフと向き合って対話しながら
絵を描くと、無心になれるんです。
その時間は素晴らしいものだと思う。」


と述べています。



ここでの「スケッチ」は西洋絵画の訳語である
「対象を観察しつつ書く」に当たる意味で
用いられているのでしょうが、

この記述ではモチーフの精神性を
我身に引き入れていると言えるでしょう。


加えてスケッチ(写生)を通して、精神的安らぎや
成長を得られていることが分かります。






背景画家である増山氏の場合、スケッチ(写生)
その物への感じ方を述べていますが、

写生を本画への足かけと捉えるプロ画家は
スケッチや写生をどう捉えているのでしょうか。





死や痛みを連想させる内臓と女性を描く松井冬子は、


「自分にとってリアリティーのないものは描けない」

「構想図を具現化するためにモチーフを写生する」

と言います。





制作コンセプトである
「知覚神経としての視覚によって痛覚を喚起する」
を描くために写実は必要なものであり、
それを支える写生も同様と言えるのでしょう。




また彫刻家の土屋仁応と小説家の村田喜代子では
このような会話がなされていました。




村田「各々が持っている感受性や才能は、
物事を知れば知るほど、見れば見るほど
豊かになっていく。


そうすれば、見かけだけではなく
そのものの持つ本質に迫っていけます。



だから色々なものを見て感じることは、
それだけの時間を使う価値があります。



~でもこの(土屋の制作した)兎は
兎の本質や魂のようなものをよく捉えていて、
本物の兎より魅力的だったりします。」

土屋「それに更に説得力、実感が伴うには
現実の兎を見る機会がより多くある方が
良いのですね。」



松井氏、土屋氏、村田氏のそれぞれで
言い表し方が異なりますが、


 本画やコンセプトに説得力、実感を伴わせるための 写生であるということなのでしょう。 

まとめ

日本画の資料が中心であるため
分野を越えて、と言っても日本画の
素描に対する考え方に偏ってしまいました。


しかし日本画が素描を重視する理由については
今回の記事で書けたのではないかと思います。




今回「写生」について調べて、
日本画は精神性が重視される分野
だという事と
写生が必要である

という事が、改めて筆者の中で繋がりました。




確かに
「デッサン(写生)が一番必要なのは日本画だ」
というのは間違いではなかったのですね。





実は、写生が重んじられると言っても
結局個人の精神的な理由ばかりに因るのではないか?


と予想していたのですが、
「写生」という言葉に

 精神性の表現の意味 

がある事、

学校の写生においては美術教育学者である
ハーバート・リードの言った

 「美術は教育全体の基礎」 

との関わりが見えた事、

粉本の心持が継承されず衰退し、

 応挙の写生の意識が今も続く事 




これらの様々な部分が結びつき、

今の「写生」があるのだと思います。

スケッチ・素描に関するその他の考察など

記事を書くにあたり引用した書籍や、
本文に書ききれなかったありがたい言葉を
まとめました。



増山修のアニメ流風景スケッチ術

美術手帖201202

その姿を見るのもこれが最後かもしれないという想いで、

冷たい風が吹き付ける中、松井は再び一本松を描いた。

松井の描いた≪奇跡の一本松≫には、

そうした生きようとする強いエネルギーが現れている。

「自分の実感を得ていないものを、

ごまかして絵にするのは見る人に対しても失礼」

「私は、自分にとってリアリティーがないものは

描けないんですね。

女性しか描かないのも、わからないものを描いても

相手に何か伝わると思えないからです。」

美術の窓201111

神保雅

日頃から絶えず色々なものを写生しています。

でも結局は自分の中心にあるものから制作します。

土屋仁応

「動物を見て作るのですか」と良く聞かれますが、

あまりじっくり見ると本物の方が良く思えて作る気が失せてしまいます。

鈴木一正

よく描く動物は長い時間相対していると、

時折目と目で意志の疎通が図れるようになる気になる。

~彼の瞳は、私の心の怠惰を見抜いていたのかもしれない。

日本画用語事典

日本美術史

福田平八郎の「漣」などという作品は~

なん枚も何枚もスケッチを重ね、写真を撮り、

さざ波の形状を、抽象化の一種と少なくとも

日本人は考えていた「型」として表現し~

現在の画家たちの一部には

あまりに安易にカメラを利用している人が

多いように私は思っている。

カメラによる映像をただ大画面に写しなおすような

作業だけは厳にいましめたいのである。

いまでは、むしろ、人々は対象を見るのに

カメラのファインダーをのぞいて見なければ安心できず、

肉眼で見るよりもカメラを使って

映像化したものを見ることによって、

「見た」という安心感を得ているようにさえ思う。

橋本雅邦

或は古人のみを守りて自己の巧思を聞かす、

或は師家の規模に検束せられて新機軸を出すを忘れ、

或ひは筆格に拘泥して天然実物の妙趣を

窺ふことを勉めす

「木挽町画所」

美術教育者の意見

描き方の手立てとして写真を用いることは

教育において成果があると言えるが、

あまりにも写真に引き摺らせ「写真の模写」

となっているのは教育実践として

ふさわしいのかという疑問がある。

たとえば光の放射線であるとか、

ホコリの映り込みも描いてしまうといったことが起こっている。

また、写真を見て描いて上手く描けたという感動は、

スケッチを行ったことで得られる感動とは別の物である。

写真の模写に描くという喜びはあるのか、

教育の「表現」とは全くそぐっていないのではないだろうか。

趣味悠々動物を描く

私はクロッキーや写生のために動物園によく行きますが、

最初のうちは描かずにじっと観察するようにしています。

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