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日本画の精神を、狩野派の技法書「丹青指南」を現代語訳して解説!

こんにちは、日本画家の深町聡美です。


「日本画」
と言われて思いつくものの一つが

「狩野派」ではないでしょうか?



何処かミステリアスで、隠された技術

……というイメージがありますが、実は

「これさえあれば日本画の絵具の扱いは完璧!」
というような、超詳細な技法書が現存しているのです。



なんと今回は、その百年前に書かれた
伝統を伝える日本画技法書、
「丹青指南」を日本語訳していきます!





日本史の授業でも長い期間登場していた
「狩野派」という人びと。


一体どんな技術を持って、宮廷画家を
何代も続けてきたのでしょうか?



丹青指南のまとめは画像をタップ!

狩野派による日本画解説書「丹青指南」を現代語訳



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狩野派の日本画技法書「丹青指南」とは?

『丹青指南』ってどんな本なの?



丹青指南とは、1926年に東京美術学校校友会が
出版したとされる技法書で、東京藝術大学でも

「幻の技法書」とされていたそうです。




コピー機のない時代には、
学生は手書きで全て写しとり、


有名な日本画家もこの本を参考にして
作品を制作してきました。



この丹青指南の作者こそが、狩野派の末裔
市川守静という老人だったのです。

狩野派画家の末裔、市川守静とは?

そもそも「丹青指南」執筆の始まりは
当時の東京美術学校長である正木直彦と

市川守静の出会いから始まりました。





市川氏は、狩野派の工房で秘密にされている
伝統の彩色法を伝承してきた、

狩野派の中でもトップレベルの彩色専門家でした。



日常の彩色だけでなく、時々受注する
神社仏閣の殿堂の彩色も任されてきた程です。



そんな狩野派の画家が、
わざわざ美術学校(現在の東京藝術大学)に

教えに来たのは、一体なぜだったんでしょうか?

近代日本画は問題だらけ?

ところで皆さんは、何百年も前の屏風の絵が
今も鮮やかに残っているのを見た事が
あると思います。




例えば、安土桃山時代の狩野永徳の名作
「唐獅子図屏風」

狩野永徳唐獅子図
狩野永徳 – [1], パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4210868による

この絵は今も剥落なく現存していますね。


しかし、それは正しい日本画絵具の
使い方をしていたからであり、



適当に使うと、ボロボロ絵具が剥がれ落ちて
すぐにダメになってしまうのです!




市川氏は、これを問題視しました。

「今の先生方は墨の使い方は上手だけれど
絵具の使い方をまるで知らないような
作品もあるなんて!」

「これでは狩野派の技術が消えてしまう!」



と焦ったのだそうです。
そこで、日本画の未来と学生のために

狩野派伝統の彩色法を
全て伝授することにしたのです。


その技法をまとめたのが、
この幻の日本画技法書「丹青指南」
だったのでした。



現在、平山郁夫や高山辰夫のような
昭和や大正の作品を楽しむことが出来るのは

市川守静と丹青指南のお陰であり、


現代の日本画も、狩野派の技術を受け継いでいる
伝統の継承者なのかもしれませんね。



まとめ
  • 丹青指南は、狩野派伝統の日本画技法書
  • 作者は狩野派の彩色専門家、市川守静
  • 日本画絵具は正しく扱わないと剥落する

狩野派の技術を現代語訳で読もう!

狩野芳崖「悲母観音」部分

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日本画の技法書「丹青指南」に関する参考サイトなど

・国立国会図書館デジタルコレクション

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丹青指南の現代語訳まとめは
こちらの画像をタップ!

狩野派による日本画解説書「丹青指南」を現代語訳

序の現代語訳

思い起こせば大正3年の夏、市川守静と名乗る老人が突然学校に訪れて、自分の経歴を述べて、こう言った。


「私は幼い頃から狩野派の絵所で絵画に親しんできました。

しかし画才は優れず、どちらかと言えば絵所で秘密にされてきた伝統の彩色法を伝承し、長年実験をして自得する事が多かったです。

その彩色技術を頼りに、絵所での日常の彩色はもとより、たまに請け負う殿堂の彩色も任されてきましたので、彩色の事は狩野派の中でも一日の長があります。


明治維新の前はすっかり絵から遠ざかって40年が経ちました。

最近文化が発展してから、様々な大家の先生の日本画作品を見たところ、墨の筆遣いが極められている絵はときどき見つけられます。


しかし、彩色の一点に至っては、ほとんど疎かにされていて、
「最初から彩色方法を知らないのでは?」
と疑ってしまう作品さえありました。


絵画は壊れにくい、不朽のものと言いますが、このような状態では墨を除いてすぐに剥落してしまうと、嘆きと憤りを感じました。

そして、私が長年伝え習い、使ってきた狩野派秘伝の彩色法も、今伝授しなければもう幾何もない私の命と共に消えてしまうと気付きました。

学校(東京美術学校。現在の東京藝術大学)では彩色方法の授業もあるでしょう。

もし許されるなら、学生のために狩野派工房の伝統の彩色法を実際にやって見せ、全力で全ての秘伝を伝授させて頂きたい。」


私はその熱い心に感動し、この老人に、科外で彩色法の講義を願った。

しかし、その教科書や参考作品などを準備中に老人は病気になってしまい、教える事が出来ず、ただ参考作品の一部と「丹青指南」という一冊の教科書を残すのみになってしまった。


幸いなことにこの教科書は懇切丁寧で、これを読めばまるで対面で教えて貰っているかのようだ。


この老人が亡くなってすでに十数年。
この本は箱の底にしまって人に見せてこなかったが、このごろ絵画の課程でも、入門の練習をないがしろにするのが当たり前となっていて嘆かわしいので、今回友会雑誌に付けることにした。


これは、一には狩野派の彩色法が消えるのを防ぎ、一には画家の制作に貢献できるようにと強く願うためにすぎない。

大正15年1月

東京美術学校長 正木直彦



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